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代々木公園のレストラン「ツリー バイ ネイキッド」がコフレドールとのコラボカフェをオープン

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東京・代々木公園のレストラン「ツリー バイ ネイキッド ヨヨギパーク(TREE by NAKED yoyogi park)」は5月12日まで、カネボウ化粧品のトータルメイクアップブランド「コフレドール(COFRET D’OR)」とのコラボメニューを提供している。

 「コフレドール」が5月1日に発売する新作ファンデーションのコンセプト“酷暑BEAUTY”をテーマに、ドリンクとサラダの限定メニューをそろえる。“ブルービューティーレモネード”(800円)は、新作ファンデに配合した“ブルーニュアンスパール”をイメージした鮮やかなブルーカラーのドリンク。ビタミンCやクエン酸のほか、酵素も多く配合しており、疲労回復や代謝促進による美肌効果が期待できる。

 酷暑を乗り切るためのサラダとして考案した“アクティブビューティサラダ”(1100円)には、9種の必須アミノ酸を備えるインゲン、ミネラルを多く含み“奇跡の野菜”とも呼ばれるビーツ、抗酸化作用の強いケール、ポリフェノールの多いトマトなどを用いた。いずれのメニューもスーパーフードのメンターや栄養コンサルタントとして活動する細谷ゆかりが監修した。

 「ツリー バイ ネイキッド ヨヨギパーク」は、映画や広告、テレビ、インスタレーションなどの領域で制作を行うネイキッド(松村亮太郎・代表)が運営するレストラン。VRやプロジェクションマッピングを駆使した空間演出から、“食とアートが融合する体験型レストラン”として話題を集めている。

荒岡眼鏡のカフェがオリジナルサワーを発売 「レディ・キラー」の現代版とは?

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眼鏡専門店のブリンク外苑前とブリンク ベースを運営する荒岡眼鏡が今年2月、東京・御徒町にオープンしたカフェ「ルッテン_(RUTTEN)」が、オリジナルサワー“レディ・キラーと呼ばないで!”を披露するイベント「サワー天国 vol.2~レディ・キラーと呼ばないで!~」を11月30日から12月28日に開催する。

“レディ・キラーと呼ばないで!”は、“昭和通り編”(610円)と“蔵前橋通り編”(610円)の2種類で、80年代を代表するカクテル「レディ・キラー」にサワーをアレンジし、当時を彷彿させながらも現代的な一杯に仕上げたという。

また期間中、同イベントのメーンビジュアルを使用したスエット(6000円)、コーチジャケット(9000円)、ジェットキャップ(4000円)、ボールペン(250円)、缶バッジ(250円)などオリジナルグッズも発売予定。メーンビジュアルのイラストは、ブリンクに勤務しながらイラストレーターとしても活動をしているナガオ マイが担当した。

サワー天国 vol.2~レディ・キラーと呼ばないで!~
時間:11:00~22:00(LO21:30)
定休日:第1・3・5土曜日、毎週日曜日
場所:ルッテン_
住所:東京都台東区上野5-5-10 1F

竹の子族、クールス、裏原ブーム...米原康正が語る原宿カルチャーの歴史

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『egg』、『smart girls』など世の中にインパクトを与える雑誌を生んだ編集者であり、世界で1人のチェキをメインとするフォトグラファーとしても知られる男。1995年から現在まで原宿にオフィスを構え、ギャル、裏原女子、青文字系モデル、ハーフモデル、KAWAII系モデルなど、常に最前線のカルチャーを追い続けてきた。現在もこの街に身を置き、意欲的に作品発表を行いながら、原宿の歴史を振り返るトークショー「スナックよね。」も定期開催中。「原宿をずっと見届けたい」そう語る彼の想いとは? 今回はそんな米原康正さんの"オモハラ観"を覗かせてもらった。
編集者・クリエイティブディレクター・フォトグラファー。1959年熊本生まれ。90年代に伝説的写真投稿雑誌『アウフォト』を創刊し、国内外で高い評価を受ける。その後企画・編集した『smart girls』にて、チェキで撮った女の子の素のままのセクシーでガーリーな世界観の写真を発表して大好評を博す。以降世界で唯一チェキをメイン機材とするアーティストとして、雑誌、CDジャケット、ファッショカタログなどで幅広く活躍。世界のストリートシーンで注目される、ジャパニーズカルチャーを作品だけでなく自分の言葉で語れる日本人アーティスト。
米原さんが原宿に初めて訪れたのは1978年。熊本から家出をし、渋谷のパンク・ニューウェーブ系カフェでアルバイトを始めた19歳のときだった。バイト仲間の中にはその後日本のヒップホップカルチャーの先駆者として活躍する高木完氏も。米原さんがこの頃からすでに時代を動かす何かに身を近づける"嗅覚"を持ち合わせていることがうかがえるが、そんな彼が原宿を訪れた目的は「竹の子族」。派手な衣装でディスコサウンドに合わせてステップダンスを踊る若者たちの総称で、多いときには2000人の竹の子族が代々木公園横の歩行者天国で踊り、ギャラリーを含めると10万人を超えたとも言われている。
「熱気があってすごいなというのが最初の率直な感想だったね。竹の子族が代々木公園に集まってたのって、ディスコ立ち入り禁止になったからなんだよ。ピューピュー笛吹くから迷惑だって。それならと公園に集まり始めた。みんな遠くから電車で来て、原宿駅のトイレで着替えて。すごいエネルギーだよね。ただ、あれをやってたのって田舎から出てきた人たちだから、正直かっこいいとは思わなかったかな。まぁ自分も田舎から出てきたばかりなわけだけど(笑)。俺はニューウェーブとかパンクスとかロンドン系のカルチャーに興味があって上京してたから、その頃通ってたのは新宿のツバキハウス(藤原ヒロシ氏の飛躍のきっかけを作ったことでも知られる伝説的ディスコ。文化服装学院や東京モード学園の学生などで溢れていた)。で、当時その界隈ではゲイ的なことが一番かっこいいっていう空気があったから、『俺たちはオカマ族だ』って言って口紅塗って原宿まで行ったりしてた。俺は似合わなすぎってすぐ気付いて1ヶ月でやめたけど(笑)」
その後学習院大学に入学し、緑のシャツに黄色いパンツ、赤いシューズというニューウェーブなファッションで登校した結果誰も寄って来なかったという米原さんは、卒業すると大学生の時から始めていたライターとしての活動を本格的に開始。直後、ストリート系雑誌『ガールズライフ』にて原宿に関する特集を担当し、このエリアの新たな魅力に触れる。
「『原宿物語』っていう8ページの特集だったんだけど、俺がその時取材したのは竹の子族だった沖田浩之、ブラックキャッツ、そして岩城滉一。岩城さんが遊んでたのは、表参道方面の原宿。ここには同じクールス(岩城滉一氏がリーダーを務めるバイカー集団。メンバーだった舘ひろし氏がロックグループ・クールスを立ち上げた)のメンバーがワイワイ遊んでるようなエリアでさ。ちょっと行きづらい場所だったんだけど、取材をしていたら、岩城滉一さんから『お前面白いな』って気に入ってもらえて。岩城さんに連れまわしてもらいながら、同潤会の中のお洒落なテイラーとかいろいろ教えてもらえるようになった。待ち合わせはいつも『レオン』っていうカフェで...。雑誌でいうと初期の『STUDIO VOICE』(当時はアンディ・ウォーホールが創刊した雑誌『interview』の日本版であった)みたいなライフスタイルっていうのかな、質の高い都会生活、新しい世界を教えてもらえたという感じだった。次第にラフォーレ原宿が盛り上がってきて若い子も来る街になったけど、70年代から80年代前半までの僕の知ってるあのエリアは、大人の街だったなぁ」

荒削りでエネルギッシュな一面と、洗練された大人な一面。原宿のふたつの顔を見た彼は、その後、原宿にオフィスを構えることになる。
「バブル時代が始まると原宿に元気が無くなった。でも僕はやっぱり原宿好きだった。だから『これからまた盛り上がりそうな空気があるな』と思って選んだだけなんだよ。実際それからしばらくして原宿は裏原ブームでまた盛り上がっていって『ほらね』って感じだった。俺は『egg』やってたから何か貢献したわけじゃないんだけどさ(笑)」

渋谷を舞台とする全盛期の『egg』を編集しながら、原宿を間近で見ていた米原さん。彼の目に、90年代後半に巻き起こった裏原ブームはどのように映っていたのか。

「APE®とかNEIGHBOURHOODとか、世界中の価値観を変えるような仕事をサクッとやっちゃう20代の彼らは男からするとすごくカッコ良かった。たとえば欧米の人たちってそれまで白いTシャツなんて着なかったんだけど、裏原が流行ってからはみんな白Tを着始めた。Supremeだって、裏原がなかったら生まれてないよね。少量生産とかダブルネームでリミテッド感を出して列を作らせるみたいなやり方は、全部裏原から生まれたから」
そう評価する一方で、寂しく感じていた部分もあったと語る。

「当時、裏原カルチャーは良くも悪くもファッションオタク男子のものだったから、女の子の気配がなかったんだよね。作ってる側も買ってる側も『モテより服』ってタイプで。あの界隈が開いてるパーティーとか行っても女の子が全然いなから、俺行かなくなっちゃった(笑)」
そんな中、米原さんは2001年、原宿系女性ファッション誌『mini』のモデルたちにメンズの裏原ブランドを着用させ、おしゃれかつセクシーに撮ったフォト雑誌『smart girls』を創刊。男女問わず記憶に残っている人は多いだろう。創刊号から、13万部のヒット。
「2000年に創刊された原宿系の女性ファッション誌『mini』が売れてたんだけど、原宿の女の子たちにはセクシーっていう要素がなかったから、引き出したら面白いかなと。『egg』に出てる渋谷のギャルの方がセクシーだったから、そこに対抗するようなものを出せたらと。それがうまくいってからは、渋谷と原宿どっちの女の子も撮るようになっていったかな。渋谷のギャルに始まって裏原女子、109のカリスマ店員、青文字系の読者モデル、ハーフモデル、きゃりーちゃんとかKAWAII系...こう振り返ると、女の子のブームは渋谷と原宿の間で交互に生まれてきてたね」

90年代から現在に至るまで、原宿にオフィスを構え続けながら、この街のカルチャーを独自の目線で眺め、写真や雑誌という形で記録してきた米原さん。新たなカルチャーが生まれる瞬間を数多く目にしてきた彼は、現在の原宿をどう見ているのだろうか。
「以前は、原宿にあるものは渋谷にはなくて、渋谷にあるものは原宿にはない、っていう街の色の違いがあった。けど、最近は大資本の店が増えたせいで、どんどん均一化してきちゃってるよね。街にいる人の特徴もなくなってるから、『FRUiTS』でスナップを撮り続けていた青木正一さんも街からいなくなっちゃって、そうすると派手な格好して原宿に出掛ける人もいなくなって...ってどんどん個性がなくなる悪循環に陥ってる。そういうのって悲しいよね」
米原さんは現在、新たらしく誕生したファッション×ITスクール「東京ファッションテクノロジーラボ」にて、定期的に原宿の歴史を振り返る公開トークショー「スナックよね。」を開催している。これまでにスタイリスト・中村のん氏、ヒップホップの先駆者・高木完氏、ラッパー・ZEEBRA氏、モデル・マリエ氏、マルチクリエイター・小橋賢児氏、ヒステリックグラマー創設者・北村信彦氏など様々なゲストを招き、原宿の歴史を様々な側面から振り返っている。
「『スナックよね。』は、知り合いを呼んで昔話をしながら『あの頃、そんなだったけ?』みたいに思い出しながら歴史を再確認してるようなトークショー。原宿って今日生まれたわけじゃなくて昔からあって、それぞれの時代に顔がある。小さな店とか、クリエイションが重なって原宿という街をつくったんだけど、今の高校生はNIGO®くんを知らなかったり、『そもそもなんで原宿原宿って言うの?』みたいに街のブランド価値自体を認識していなかったりする。わざわざ街に集まったりしなくてもSNSがあって、みんながクリエイターになれる時代なのはいいことだと思ってるんだけど、でも歴史を知ってる俺としては、そういう次の時代を引っ張る人が『原宿に事務所持ちたいよね』と思うような街であってほしい。そのためには、原宿がただ消費する街じゃなくて、何かを生むクリエイティブな街でなきゃいけない。だから若い人たちに歴史を伝えて、『原宿で何かをやろう』という気持ちを刺激するようなイベントをやらなきゃと感じてる。タダだしみんな来てね(笑)」
「スナックよね。」でトークショーを終えた米原さんは、会場のライトを落とし、集まった若者たちと一緒にお酒を飲みながらカラオケを楽しむ。これが毎回お決まりの光景だ。約40年の間に、若者からカルチャーが生まれるシーンを何度も目撃してきた彼は、59歳になった今も、自ら積極的に若者たちの中に身を投げ、新しいカルチャーが誕生する気配を探しているように見える。原宿の輝かしい歴史を知った現在の若者が、また原宿から新しいブームを生み出し、米原さんを喜ばせる...きっとそんな未来が、すぐにやってくる。

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